大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和58年(レ)30号 判決

控訴人(甲事件原告、乙事件被告)

松島商事株式会社

右代表者代表取締役

菅野一

右訴訟代理人弁護士

圓山潔

阿部博道

被控訴人(甲事件被告、乙事件原告)

村奈嘉榮吉

右訴訟代理人弁護士

鈴木國昭

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、別紙物件目録記載(二)の建物部分を明け渡せ。

三  被控訴人の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、第二審を通じ、被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  主文一ないし三と同旨

2  仮執行の宣言

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は、控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

(甲事件について)

一  請求原因

1(一) 被控訴人は、昭和四三年八月一日、柴田兼三郎(以下「兼三郎」という。)との間に、被控訴人は兼三郎から同人所有の別紙物件目録記載(二)の建物部分(以下「本件建物部分」という。)を左記約定により賃借する旨の契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

(1) 賃料 一か月一万五〇〇〇円とし、毎月末日限り翌月分を支払う。

(2) 期間 本件契約締結の日から六か月間

(3) 一時使用の特約 本件契約は、被控訴人が本件建物部分の北側に存する土地上に建築を計画している住宅兼店舗(以下「被控訴人所有建物」という。)の建築工事が終了するまでの間の一時使用を目的とするものである。

(二) 被控訴人は、昭和四四年ころ被控訴人所有建物の建築工事を終了したが、その後も本件建物部分の使用を継続し、本件契約の内容のうち一時使用の特約は、そのころ、被控訴人と兼三郎との間の合意により解消された。

2 その後、昭和四九年一〇月二〇日、兼三郎が死亡し、同人の相続人である柴田義一、柴田正弘(以下「正弘」という。)、柴田博彦及び阿部友江(以下合わせて「義一ら」という。)が兼三郎の所有していた別紙物件目録記載(一)の建物(以下「本件建物」という。)の所有権を相続により取得したが、義一らは、昭和五五年一一月一五日、控訴人に対し、本件建物を同建物の南側に存する建物(以下「宮坂建物」という。)とともに代金一五五〇万円で売り渡した。

3(一) 控訴人は、昭和五五年一一月二二日被控訴人に到達の内容証明郵便により、被控訴人に対し、本件契約を解約する旨の意思表示(以下「本件解約申入れ」という。)をし、その後、六か月が経過した。

(二) 本件解約申入れには、次のとおりの正当の事由が存する。

(1) 本件建物部分の屋根は、控訴人が本件解約申入れをした当時、腐朽して西に傾いており、また、その西側及び南側の壁も、甚しく腐朽していて、建物として存続し得る期間も、短期間であつた。

(2) 被控訴人は、本件建物部分を、空箱、古雑誌等の不要品の収納のためのみに使用しているところ、被控訴人所有建物には、完全な倉庫があり、また、他にも十分な空間が存するのであつて、被控訴人には本件建物部分を使用する必要は全く存しない。

4(一) 控訴人は、被控訴人に対して本件解約申入れをした後の昭和五六年三月一八日、東京簡易裁判所に対し、被控訴人を相手方として、本件建物部分の明渡しを求めて調停(同裁判所同年(ユ)第二九号建物明渡請求調停事件。以下「本件調停事件」という。)の申立てをしたが、被控訴人は、本件調停事件の手続の進行中である同年六月三〇日、緊急の必要性もないのに、控訴人に無断で、本件建物部分の西側の外壁を取り壊し始め、一階の柱がむき出しになるほどの大規模な補修工事を開始した。

被控訴人のした右補修工事は、控訴人と被控訴人との間の信頼関係を破壊する契約違反行為というべきである。

(二) そこで、控訴人は、昭和五六年六月三〇日、被控訴人に対し、内容証明郵便により、本件契約を解除する旨の意思表示(以下「本件解除」という。)をし、右郵便は、同年七月一日、被控訴人に到達した。

5 よつて、控訴人は、被控訴人に対し、本件契約の終了に基づき、本件建物部分の明渡しを求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1及び2の事実は、認める。

2(一) 同3(一)の事実は、認める。

(二)(1) 同3(二)(1)の事実のうち、本件建物部分の西側の壁が控訴人主張の当時相当傷んでいたことは認めるが、その余は否認する。

本件建物部分には相当傷んでいる箇所も存するが、雨漏り等は全くなく、全体的に見れば、今後なお相当期間、倉庫等としての使用に十分堪えるものである。

(2) 同3(二)(2)の事実は否認し、その主張は争う。

3(一) 同4(一)の事実のうち、控訴人がその主張のころその主張のとおりの本件調停事件の申立てをしたこと、被控訴人が昭和五六年六月三〇日本件建物部分の外壁について補修工事を開始したことは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

(二) 同4(二)の事実は、認める。

三  抗弁

1 被控訴人の本件建物部分使用の必要性について

被控訴人は、昭和五五年一一月当時、本件建物部分を、しよう油、サラダ油、酢等の瓶詰類や各種缶詰類等の商品を収納する倉庫として使用するほか、オートバイ置場、洗濯場等として使用しており、本件建物部分は被控訴人の営業及び生活に不可欠のものであつて、控訴人のした本件解約申入れには、いまだ正当の事由がないというべきである。

2 信頼関係の破壊について

被控訴人がした本件建物部分の外壁の補修工事は、控訴人との間の本件調停事件の手続の進行中にされたものであるが、右調停事件においては、控訴人のした本件解約申入れの有効性をめぐつて控訴人と被控訴人の主張が対立し、調停が成立する見込みは乏しい状況にあり、また、被控訴人は、右補修工事着工に先立つて、昭和五六年六月ころ、被控訴人の友人の大塚藤三郎(以下「大塚」という。)に対し、控訴人の代表者である菅野一(以下「菅野」という。)に対して被控訴人が近く本件建物部分について補修工事をするつもりである旨伝えることを依頼していたのであつて、隠密裡に右補修工事をしようとしたものではなく、その補修工事の内容も、本件建物部分の土壁の浮いている箇所を落として間柱と本柱との間にベニヤ板を打ちつけるというもので、費用も三〇万円程度しかかからず、本件建物部分の使用収益に必要な限度でその原状維持のためにされたものにすぎないのである。そして、右補修工事は、控訴人が本件建物部分の使用収益に必要な修繕をすることを怠つていたため、被控訴人においてやむを得ずしたものであること、右補修工事により控訴人には何ら損害が発生しないこと、被控訴人は本件契約締結以来賃貸人の希望するところに従つて賃料の増額に応じて来ており、賃貸人たる地位が控訴人に移るまで賃貸人である兼三郎又は義一らと被控訴人との間の信頼関係は円満に保たれていたこと等も考慮すると、被控訴人が本件建物部分について右補修工事をしたことにより、控訴人と被控訴人との間の信頼関係が破壊されたものとはいまだいうことができない。

3 控訴人の権利の濫用

被控訴人は、昭和五一年ころ、義一らからそのころ本件建物及び宮坂建物を含む義一ら所有の不動産について賃料の集金等の管理事務を委任された不動産業者である控訴人に対し、義一らから本件建物を購入すること及び本件建物の敷地の所有者である板谷商船株式会社(以下「板谷商船」という。)から本件建物の敷地を購入することの各仲介を依頼し、控訴人は、これを承諾した。したがつて、控訴人は、自己が義一らから本件建物を購入するに当たつては、まず、被控訴人に対して購入金額を明示して被控訴人の本件建物の購入意思の有無を確認すべき信義誠実の原則上の義務を負うにもかかわらず、折から本件建物の南側に高層マンションの建築を計画し、控訴人に対して本件建物を含む義一ら所有の建物について居住者との明渡し交渉を依頼していた福島交通株式会社(以下「福島交通」という。)に対して本件建物を転売して利益を得るため、被控訴人に何ら連絡をしないまま義一らから本件建物を購入したうえ、代金支払及び本件建物についての所有権移転登記手続も終了しておらず、また、何ら必要性もないのに、被控訴人に対して本件建物部分の明渡しを請求して来たのである。それゆえ、控訴人の本件明渡し請求は、権利の濫用であつて、許されないというべきである。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1の事実は否認し、その主張は争う。

2 同2の事実のうち、被控訴人が本件調停事件の手続の進行中に本件建物部分について補修工事をしたこと、本件建物部分の賃料が本件契約締結後増額されたことは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

3 同3の事実のうち、控訴人が、不動産業者であり、昭和五一年ころ義一らから本件建物及び宮坂建物を含む義一ら所有の不動産について賃料の集金等の管理事務を委任されたこと、板谷商船が本件建物の敷地を所有していること、控訴人が義一らから本件建物を購入したことは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

控訴人は、昭和五一年ころ、義一らから、本件建物及び宮坂建物を含む義一ら所有の不動産についての管理事務を委任された後、被控訴人との意思の疎通を図るため被控訴人と面接したが、その際、被控訴人は、控訴人に対し、本件建物を購入したい旨を述べたものの、その希望する売買条件は正式の交渉の対象として採り上げ得るものではなく、控訴人は、被控訴人に対し、右の旨を回答しており、また、被控訴人から本件建物購入の仲介の依頼を受けたこともない。

そして、控訴人は、義一らから、本件建物等は不動産として収支採算がとれず、また、老朽化が進んで近隣に迷惑を及ぼすおそれもあるので、処分してほしい旨の依頼を受けて、被控訴人に対して本件建物を購入する意思があるか否かを確認したが、被控訴人が明確な回答をしなかつたため、これを自ら購入することとしたのである。

(乙事件について)

一  請求原因

1 甲事件についての請求原因1及び2に同じ。

2 本件建物部分の一か月当たりの賃料は、本件契約締結後、被控訴人と兼三郎又は義一らとの間の合意により、左記のとおり増額された。

(一) 昭和四七年 八月以降 一万八〇〇〇円

(二) 昭和四八年 八月以降 二万円

(三) 昭和五一年 八月以降 二万二〇〇〇円

(四) 昭和五三年 八月以降 二万四〇〇〇円

(五) 昭和五四年一一月以降 二万六〇〇〇円

3 控訴人は、本件契約は、本件解約申入れ又は本件解除により終了したと主張して、本件契約の存在を争つている。

4 よつて、被控訴人は、控訴人との間に、被控訴人が本件建物部分について賃料は一か月二万六〇〇〇円として毎月末日限り翌月分を支払うとの約定による期間の定めのない賃借権を有することの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1 甲事件の請求原因1及び2に対する認否に同じ。

2 請求原因2の事実のうち、本件建物部分の賃料が昭和四七年八月被控訴人と兼三郎との間の合意により一万八〇〇〇円に増額されたことは知らないが、その余は認める。

3 同3の事実は、認める。

三  抗弁

甲事件についての請求原因3及び4に同じ。

四  抗弁に対する認否

甲事件についての請求原因3及び4に対する認否に同じ。

五  再抗弁

甲事件についての抗弁に同じ。

六  再抗弁に対する認否

甲事件についての抗弁に対する認否に同じ。

第三  証拠〈省略〉

理由

一甲事件についての請求原因1及び2の事実並びに乙事件についての請求原因2の事実のうち本件建物部分の一か月当たりの賃料が昭和四七年八月以降一万八〇〇〇円に増額されたことを除く事実は、当事者間に争いがなく、本件建物部分の一か月当たりの賃料が昭和四七年八月以降一万八〇〇〇円に増額されたことは、〈証拠〉によりこれを認める。

二本件解約申入れの効力について

1  甲事件についての請求原因3(一)の事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、次に、本件解約申入れについての正当の事由の存否について検討する。

本件建物部分の西側の壁が控訴人が本件解約申入れをした当時相当傷んでいたことは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉を総合すると、本件建物部分は、木造瓦葺二階建の一棟二戸の建物の西側の一戸であるが、控訴人が本件解約申入れをした昭和五五年一一月当時、その屋根、二階の天井及び床並びに大部分の柱が西に傾き、柱、梁及び外壁の羽目板等の腐朽も相当進み、窓枠や壁の羽目板の隙間から雨が吹き込むこともある状態で、その建築時期が遅くとも大正八年ころであることも考慮すると、全体として相当程度老朽化していたものと認められる。

しかしながら、〈証拠〉によれば、被控訴人は、控訴人が本件解約申入れをした昭和五五年一一月以前から、本件建物部分の一階の南側のコンクリート敷きの部分に洗濯機及び流しを置いて洗濯場として使用するほか、その余の一階部分は、被控訴人がその所有建物の一階で営業する乾物商に使用するための電気冷蔵庫三台、食用油、しよう油、清涼飲料水等の商品又はこれらの物の回収後の空瓶、缶詰類、オートバイ等の倉庫として使用しており、また、本件建物部分の二階は、同じく営業用の椎茸、寒天、空箱等の倉庫として使用しているところ、本件建物部分には、被控訴人が右のように使用するうえで支障となるほどの雨漏りや壁からの雨の吹き込みは生じていないこと、また、本件建物の東側の一戸は、被控訴人が本件建物部分を賃借する以前から田島魚店が店舗及び居住用に使用しているが、本件建物部分よりは良好な状態にあることが認められ、また、本件鑑定人は、その鑑定の結果中で、本件建物部分は、本件鑑定人が現場調査をした昭和六〇年七月一〇日当時、相当老朽化しているが、被控訴人が前記のとおりの使用方法によりその使用を継続する限り、震度三程度までの地震、普通の台風程度の強風、二五センチメートル程度までの積雪には耐えることができ、直ちに倒壊等する危険性は認められず、今後全く修繕等をしないとの条件下における本件建物部分の物理的耐用年数は、右鑑定書作成の日の同年八月一日以後五年前後程度と考えられる旨の鑑定意見を述べている。

そうすると、〈証拠〉によれば、本件建物の存する地域は、商業地域及び防火地域に指定されていることが認められること、被控訴人が昭和五六年六月三〇日本件建物部分の外壁について補修工事を開始したことは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、被控訴人は、前記のとおり補修工事に着手した後、同年七月二七日ころまでの間に、本件建物部分の西側及び南側の外壁の羽目板並びに南側一階及び西側の窓を取り壊し、柱を一部補強したうえ、コンパネ等を用いて外壁の下地を作り、その上に波トタン板を張る補修工事をし、右工事により従来老朽化の進んでいた本件建物部分の西側及び南側の外壁の状態が相当改善されたと認められ、前記鑑定意見も右改善された本件建物部分の状況を前提とするものであること等を考慮しても、本件建物部分について、昭和五五年一一月当時の老朽化の程度は、いまだ直ちに倒壊等する危険が発生し賃貸人である控訴人においてこれの取壊し又は本件契約を解消したうえでする大修繕を要するまでのものであつたと認めるには足りず、その後更に本件建物部分の老朽化が進んで取壊し等を要する状態になったと認めるに足りる証拠もない。

なお、被控訴人は本件建物部分を営業用の倉庫等として使用していることは前記認定のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、本件建物部分と幅約六メートルの道路を挟んだ北側に存する四階建の被控訴人所有建物は、控訴人が本件解約申入れをする以前から、一階を営業用の店舗及び倉庫として、二階を他の者に賃貸して喫茶店として、三階を被控訴人の家族の居住用として、四階を同じく被控訴人の家族の居住用及び雑品類の倉庫として各使用されているが、控訴人が本件解約申入れをした当時から、同建物内に被控訴人が本件建物部分に置いている商品等をすべて収容することができるほどの場所的余裕はなく、また、洗濯機置場も特に存在しない状態であること、被控訴人は他に本件建物部分に代わる倉庫を有しないことが認められ、被控訴人が本件建物部分の使用を継続する必要性があることも一応これを肯定することができる。

してみると、本件契約がその締結された当初は被控訴人所有建物の建築工事が終了するまでの間の一時使用の目的によるものであつたとの前記争いのない事実を併せて考慮しても、なお、控訴人のした本件解約申入れに正当の事由が存したとはいい難く、その後右正当の事由が生じたとも認められないのであつて、他に右正当の事由の存在を認めるに足りる証拠はない。

3  よつて、控訴人のした本件解約申入れは、その効力を生じないものというべきである。

三本件解除の効力について

1  甲事件についての請求原因4(二)の事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、次に、本件解除の効力の有無について検討する。

控訴人が昭和五六年三月一八日東京簡易裁判所に対して被控訴人を相手方として本件建物部分の明渡しを求めて本件調停事件の申立てをしたことは、当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、本件調停事件において、控訴人と被控訴人との交渉は、同年六月三〇日までの間に二回実施され、右交渉の席上で、控訴人は、被控訴人に対し、本件建物部分が老朽化して火災発生等の危険があること、また、被控訴人には倉庫も備わつた被控訴人所有建物があること等を理由に、控訴人から被控訴人に対して立退料を支払うことを条件に本件建物部分の明渡しを求め、他方、被控訴人は、控訴人から本件建物部分を購入することを求めていたことが認められる。そして、被控訴人が同年六月三〇日本件建物部分の外壁の補修工事を開始したことは前記のとおりであり、〈証拠〉によれば、控訴人の代表者である菅野は、右同日、被控訴人が右補修工事を開始したことを知り、直ちに本件建物部分を訪ね、右建物部分の補修工事をしていた株式会社横松組(以下「横松組」という。)の従業員に対し、工事を中止するよう申し入れ、工事は中断されたこと、控訴人は、その後、東京簡易裁判所に対し、被控訴人を債務者として、被控訴人が本件建物部分について取壊し、増築、大修理等の行為をすることを禁ずる仮処分(同裁判所同年(ト)第一三二号仮処分命令申請事件)の申請をし、同月六日、右仮処分申請についてこれを認める旨の決定を受けて、右決定の正本は、同月八日、被控訴人に送達されたこと、ところが、本件建物部分の西側の外壁は、既に全面にわたつて羽目板が取り除かれ、一部には柱がむき出しとなる部分も存したことから、被控訴人は、その後、右裁判所に対し、控訴人を債務者として、控訴人は被控訴人が本件建物部分の西側の外壁について間柱と本柱との間にベニヤ板及び簡易な防水建材を打ち付ける等の修繕工事をすることを妨げてはならない旨の仮処分(同裁判所同年(ト)第一四四号仮処分申請事件)を申請し、同月一三日、右仮処分申請についてこれを認める旨の決定を受けたこと、ところが、被控訴人は、その後、本件建物部分の西側の外壁のみではなく、南側の外壁についても、前記認定のとおりの補修工事をしてしまつたこと、被控訴人は、右補修工事を行つた横松組に対し、請負代金として三〇万円を支払つたこと、控訴人は、被控訴人が右補修工事を開始した後、本件調停事件を取り下げたことが認められる。

ところで、本件建物部分は、被控訴人が右補修工事を開始した当時、窓枠や壁の羽目板の隙間から雨も吹き込むこともある状態であつたが、右も、被控訴人が従来どおり本件建物部分を被控訴人の営業用の倉庫等として使用するうえで支障を生ずるほどのものではなかつたことは、前記認定のとおりであり、被控訴人が本件建物部分を従来どおり使用してゆくうえで直ちにその外壁等に対する補修の実施を必要とする状態であつたと認めることはできない。

また、被控訴人供述によれば、被控訴人は、知人の大塚に対して控訴人に本件建物部分について補修工事をするつもりである旨を伝えるよう依頼したが、その後大塚が控訴人に対して右の旨を伝えたか否かについては確認しておらず、本件調停事件の席上でも控訴人に対して補修工事をすることを伝えていないことが認められ、控訴人が前記補修工事を開始する前に控訴人に対して右補修工事を開始する旨を伝え、控訴人の承諾を求めたこと又は被控訴人が控訴人に対して本件建物部分の外壁の補修を求めたことはいずれもこれを認めるに足りる証拠はない。

してみると、被控訴人は、本件建物部分の所有者ではなく、賃借人にすぎないにもかかわらず、本件建物部分の老朽化を主たる理由として控訴人から明渡しを求められている本件調停事件の手続の進行中に、賃貸人である控訴人に何ら連絡することなく、賃借物である本件建物部分につき、その老朽化の程度に重要な影響を及ぼすべき大規模な補修工事に着手し、しかも、控訴人からの申請に基づく仮処分決定により本件建物部分について取壊し、増築、大修理等を禁じられているにもかかわらず、自己の申請に基づき妨害禁止の仮処分を受けた本件建物部分の西側外壁のみならず、南側外壁についても補修工事をしてしまつたものであるから、他の被控訴人主張の事情を考慮しても、なお、被控訴人の右行為により、控訴人と被控訴人との間の信頼関係は破壊されたものというべく、したがつて、控訴人のした本件解除は、直ちに効力が生ずるというべきである。

四権利濫用の主張について

控訴人が、不動産業者であり、昭和五一年ころ、義一らから、本件建物及び宮坂建物を含む義一ら所有の不動産について賃料の集金等の管理事務を委任されたこと、板谷商船が本件建物の敷地を所有していることは、当事者間に争いがない。

そして、被控訴人は、その供述中で、被控訴人は、本件契約締結の直後ころから、兼三郎又はその次男である正弘等に対し、本件建物を買い受けたい旨申し入れていたが、右は具体的売買条件の交渉までは進展しなかつたこと、被控訴人は、昭和五一年ころ、義一らに対し、立ち話程度ではあるが、本件建物を八〇〇万円で買い受けたい旨申し入れたものの、義一らから何の返答も受けなかつたこと、その後、昭和五二年初めころ、義一らの委任を受けて本件建物等の管理を開始した控訴人の代表者の菅野から、義一らの希望する本件建物の売却代金として、一一〇〇万円の呈示を受けたこと、被控訴人は、この際、菅野に対し、本件建物の建て直しの必要等の点についても話をしたところ、菅野は、交渉は控訴人がやつてやる旨述べたこと、その後、福島交通は、昭和五四年ころ、本件建物の南側にマンションの建築を計画し、控訴人に対し、協力を依頼したこと、他方、被控訴人は、同年春ころ、控訴人に対し、重ねて本件建物買取りについて依頼をしたこと、ところが、被控訴人は、同年夏ころ、控訴人から、控訴人が本件建物及び宮坂建物を一八〇〇万円で購入した旨を聞き、また、その後、控訴人に対して板谷商船との間の本件建物の敷地部分の取得の交渉の依頼をするとともに、控訴人との間に本件建物等の売買についての交渉をしたところ、控訴人から、控訴人が本件建物等を取得した金額である一八〇〇万円に更に同金額の二割の金額を増額した代金を支払うならば本件建物等を被控訴人に売却してもよい旨の回答を得たことを述べており、前記乙第一三号証にも右同旨の記載が存する。

しかしながら、菅野は、その供述中で、菅野は、昭和五一年ころ、義一らから本件建物等の管理事務の委任を受けた際、義一らが板谷商船から賃借している本件建物の敷地等の契約期間の満了期が迫り、右土地等の使用を継続する場合には、板谷商船に対して更新料を支払わなければならないが、本件建物等は不動産として収支採算がとれず、また、火災等を生じて近隣に迷惑を及ぼすおそれもあるので、できるだけ早い機会に処分したい旨の意向を伝えられたこと、その後、控訴人は、昭和五二年の夏ころないし昭和五三年初めころ、義一らから、被控訴人に本件建物買受けの希望があることを聞き、そのころ、被控訴人に対し、義一らの希望する売買代金額にほぼ見合う額として一五〇〇万円を呈示したこと、しかしながら、被控訴人は右呈示に対して自己の意見を明らかにせず、また、被控訴人は、本件建物の敷地も購入したいと希望したが、右土地の所有者である板谷商船には当時右土地売却の意思は存しなかつたため、その後右交渉は進展しなかつたこと、控訴人は、昭和五五年夏ころ、福島交通から、同社がかねてからの計画に従つて本件建物の南側に存する土地上にマンションを建築するについて、近隣に居住する者の右建築工事に対する同意獲得に協力してほしい旨の依頼を受けたこと、また、板谷商船は、そのころ、福島交通の右マンション建築計画を知つて、本件建物の敷地等を一坪当たり約一〇〇万円程度で売却してもよいとの方向に考えを転じたこと、これに対し、被控訴人は、当時、本件建物の敷地等を一坪当たり三〇万円程度で購入したい旨の意思を明らかにしていたが、前記板谷商船側の希望する条件とは大幅な開きがあるため、その後右両者間に正式の交渉が開始されるには至らなかつたこと、他方、控訴人は、そのころ、かねてからの義一らの本件建物等を処分したいとの意向を受けて、将来は本件建物等から居住者に退去してもらい、建物を建て替えるとの計画のもとに、本件建物等を義一らから購入することとし、本件建物の南側に存する建物に居住する宮坂と交渉して、同人に立退料として二五〇万円を支払つて宮坂建物を明け渡してもらうことで同意を得、その後、昭和五五年一一月一五日、義一らとの間に、本件建物及び宮坂建物についての売買契約を締結したこと、また、控訴人は、そのころ、被控訴人との間にも、本件建物等の売買についての交渉を行つていたが、控訴人が本件建物の宮坂建物と合わせた売買代金として約二〇〇〇万円を呈示したのに対し、被控訴人は、その希望する代金として七〇〇万円程度の金額しか回答しなかつたため、交渉は進展しなかつたこと、その後、控訴人は、被控訴人に対し、本件解約申入れをしたこと、控訴人と被控訴人との交渉は、その後も、控訴人は本件建物部分の明渡しを求める方向で、被控訴人は本件建物等の買受けを求める方向で続けられたが、合意に至らず、結局、控訴人は、昭和五六年三月一八日、前記認定の本件調停事件を申し立てた旨を述べ、また、被控訴人から本件建物購入についての仲介の依頼を受けたこと及び福島交通から本件建物部分についての明渡しの交渉の依頼を受けたことをいずれも否定しているのであつて、菅野の右供述に照らすと、被控訴人の主張に一応沿う前記〈証拠〉は、いずれもにわかに信用し難いというほかない。

そして、他に本件解除が権利の濫用にあたるものと認めるに足りる証拠はない。

五結論

以上のとおり認定説示したところによれば、本件契約は、控訴人がした本件解除により終了したものというべきであるから、控訴人の甲事件の請求は理由があり、被控訴人の乙事件の請求は理由がなく、控訴人の請求を棄却し、被控訴人の請求を認容した原判決は失当であつて、本件控訴は理由がある。よつて、原判決を取り消し、控訴人の請求を認容し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条、九六条を適用し、仮執行宣言の申立てについては、その必要がないものと認め、これを却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石井健吾 裁判官寺尾洋 裁判官八木一洋)

別紙物件目録

(一) 所在 東京都港区高輪一丁目一四四番地一一

家屋番号 一四四番一一の四

種類 店舗

構造 木造瓦葺二階建

床面積

(登記簿上)

一階 四六・二八平方メートル

二階 三四・七一平方メートル

(現況)

一階 四〇・四九平方メートル

二階 四〇・四九平方メートル

(二) 右のうち、西側の一戸

床面積(現況)一階 二二・二七平方メートル

二階 二二・二七平方メートル

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例